マーク・デイヴィスさんについてまとめてみたい!(前編)

ハウディ―こんにちは!

 

ユーキャンさん主催の「Country Bear Theater Advent Calender 2022」7日目を担当させていただきます。よろしくお願いいたします。

 

突然ですが、皆さんはマーク・デイヴィスというディズニーの人物をご存じでしょうか。彼は、ウォルト・ディズニーが生前、絶大な信頼を置いたディズニーのクリエイターの一人です。彼が携わった映画作品には、『ピーターパン』『眠れる森の美女』『101匹わんちゃん』など、ディズニーパークのアトラクションには、「カントリーベア・シアター」、「ホーンテッドマンション」、「カリブの海賊」などがあります。皆さんが好きなディズニーの作品に、一つは彼が携わった作品があるのではないでしょうか。

 

今回の記事では、ディズニーの名作を手掛けたクリエイターであるマーク・デイヴィスさんの生涯について、(一ファンである僕がわかる範囲で)(なるべく脱線しないように)紹介していきたいと思います。この記事が彼のことを知る一つのきっかけになればと思います。

 

マーク・デイヴィスさんの幼少期


1913年3月30日、マーク・デイヴィスは父ハリーと母ミルドレッドの一人息子として生まれました。彼はカリフォルニア州のベイカーズフィールドというという町に生まれました。この町は石油産業で急成長を遂げ、ブームタウン(新興都市)となった場所です。*1

 

ハリー・デイヴィスはこの町で油田開発に携わっていました。働き者だったハリーは、石油が産出される土地を転々としながら仕事に精を出しました。

 

マークはハリーについて、「私の父はね、それはそれは特別な人物でしたよ。彼の仕事ぶりをたとえるなら、”レインボーチェイサー(夢追い人)”だったといえるんじゃないかな。」と語っています。

 

デイヴィス一家は石油ブームを追いかけて、アーカンソー、フロリダ、テキサス、アラスカ、オクラホマルイジアナなど、アメリカ各地に移り住みました。マークが高校生になるころには、23回も転校をしたそうです。彼は引っ越した先々で、その街並みやそこで暮らす人々を観察しました。のちに個性的なキャラクターやアトラクションを生み出すことになるマークの観察眼は、こうして研ぎ澄まされていきました。

 

何度も引っ越しを重ねていると、学校で周囲に馴染めなくなることがありました。マークの妻アリスは彼の幼少期についてこう語っています。

「マークが新しい学校に行くと、休み時間に男の子たちが彼の周りに集まってきて、彼を殴ったのです。それが彼らの挨拶でした。だから彼は絵をたくさん描くようになり、学校に行くとみんながその絵を欲しがりました。みんなに絵を描いてあげると、殴られなかったのです。いつもその子たちのために絵を描いていたので、もう殴られることはありませんでした。それがきっかけでアニメーターになったと彼は語っていました。」

 

彼は自分を楽しませるため、そして守るため、絵を描くことに没頭しました。そのうちに彼の絵はどんどん上達し、周囲から「絵描きの少年」として注目されるようになりました。そして身近な動物や街並みを描き続けるうちに、いつしか彼は絵の仕事を志すようになりました。

 

13歳から14歳のころ、マークはオクラホマ州でアートレッスンを受け始めました。そして、高校生になるころ、短い期間ではありますが、マークはカンザスシティ美術学校で正式な美術指導を受けました。奇遇にもカンザスシティ美術学校はウォルトも通った学校です。

 


修行の日々


マークが17歳になった頃、ディヴィス一家はカリフォルニアに移りました。マークはロサンゼルスのオーティス美術学院やサンフランシスコのカリフォルニア芸術学校で美術を学びました。

 

大恐慌という厳しい時代だったので、マークはお金がありませんでした。画用紙を買うお金がなかったので、肉を包むための紙を肉屋からもらい、その紙に絵を描いて、また新しい紙と交換しました。肉屋は「あの若いのは、いつかきっと有名な画家になる」と語っていたそうです。

 

また、マークはサンフランシスコのフライシュハッカー動物園の副園長の厚意で、開園前に特別に園内にいれてもらい、動物たちをスケッチさせてもらいました。さらに動物たちを目の前で観察させてもらったり、直接触れたりもさせてもらったそうです。特にオランウータンの手に触れた経験は特別印象的だったようです。この頃に動物園でマークが描いたオランウータンのスケッチは、「マーク・デイヴィス作品集」にも掲載されています。

 

午前を動物園で過ごしたマークは、午後には公立図書館に向かい、動物の解剖学を勉強しました。動物の動きや構造に関して研究し、その動きがいかに空間や重力と相互に作用しているかについて理解を深めました。のちに彼はここで得た知識をアニメーションの分野で生かして行くことになります。彼は後進のアーティストやアニメーターに向けてAnatomy of Motion(動きの解剖学)という原稿を残しており、「マーク・デイヴィス作品集」でその抜粋を読むことができます。

 

また、マークはこのころに様々な場所で働いて人生経験を積みました。父から勧められて働き始めたビリヤード場では、ボールを並べ、酔っぱらいの介抱をしました。売春宿ではレジからお金を集め、リングの上で格闘家の世話をし、ボ―ドビルのマジシャンでもあった父のアシスタントも務めました。この経験を通して、人生の何たるかを目の当たりにし、目を開かされるところがあったそうです。ディズニーで印象的なキャラクターたちを生み出せたのも、この時の経験が生きているのかもしれませんね。

 


ディズニー・スタジオに入社


1934年、マークが仕事を探していたとき、大恐慌という厳しい時代でありながら、急成長を遂げている企業を見つけました。それがディズニー・スタジオだったのです。

 

1934年は、それまで短編アニメーションを制作していたディズニーが、初の長編アニメーション作品『白雪姫』の制作へ動き出した頃でした。ウォルト・ディズニーは着手したばかりの『白雪姫』のため、新しいスタッフを集めていました。マークはディズニー・スタジオに入社すると、短編映画のアイディアマンとして働いたあと、『白雪姫』で愛らしい姫をデザインしたグリム・ナトウィックのアシスタントアニメーターとなりました。ナトウィックが描いたラフドローイングを仕上げる作業を担当し、白雪姫とこびとたちが踊るシーンに携わりました。このシーンの出来が良く、マークは先輩アニメーターたちから認められたのです。

 

『白雪姫』が興行的にも批評的にも大成功を収めると、ディズニー・スタジオは『バンビ』の制作に取り掛かりました。しかし、鹿や森の動物たちを愛らしく、説得力を持たせて描く作業は困難を極め、様々な理由によって『バンビ』の制作は行き詰ってしまいました。

 

『バンビ』の制作でストーリー制作に携わっていたマークは、動物たちのスケッチを仕事場に貼り付けていました。これを見たウォルトは、「これを描いたのは誰だ?これこそまさに”森の住人”じゃないか。このスタイルとタッチを大切にするように」と絶賛しました。そのとき彼の描いた動物は戯画と写実のバランスを完璧に捉えていたのです。ウォルトに認められたマークは、『バンビ』のアニメーターに昇格し、とんすけやフラワーを手がけました。学生の頃に動物たちを描き続けた経験が、『バンビ』のアニメーションで発揮されました。

 

無事に完成へとこぎつけた『バンビ』は、1943年にハリウッドのチャイニーズシアターで初披露されました。マークは観客の喜ぶ姿を見て、嬉しさのあまり涙を抑えることができなかったと語っています。この経験がアニメーターとしての彼の人生を決定づけることとなりました。

 

 

名アニメーターへ


その後も、マークは『南部の唄』『イカボードとトード氏』のアニメーターとして、また『シンデレラ』『眠れる森の美女』『ピーター・パン』『101匹わんちゃん』などの作画監督としてその才能を発揮しました。特に『ピーター・パン』で彼が生み出したティンカーベルは、今でもディズニーの象徴的なキャラクターの一人として愛されています。また、『101匹わんちゃん』のクルエラ・ド・ヴィルは、彼が生み出した中でも特にお気に入りのキャラクターであると語っています。アリス・デイヴィスさんによると、クルエラを面白く描けた時のマークはとてもご機嫌で、歌ったり騒いだりしていたそうです。彼が腕によりをかけて生み出したクルエラは、よきライバルのような関係だったミルト・カールさんも嫉妬するほどの強烈な個性を放ちました。

 

素晴らしい作品を生み出すことができてマークは喜んでいましたが、ウォルト・ディズニーはアニメーションの制作をスローダウンしていました。アニメーション制作は莫大な費用と時間がかかるからです。『101匹わんちゃん』でゼロックスの技術が使われた理由もここにありました。さらに、1950年代半ばからウォルト・ディズニーの関心は、アニメーションからディズニーランドを発展させることへと移っていきました。

 

マーク・デイヴィスと同僚のケン・アンダーソンはアニメーションの存続のために、以前から映画化の計画があった『シャンティクリア』というアニメーションの企画を立ち上げ、たくさんのコンセプトアートを描きました。この時のアートは『マークデイヴィス作品集』にも収録されています。

 

マークは、「当時、ウォルトはもう長編アニメーションを作らないことを考えていたので、『シャンティクリア』を完成させれば、ウォルトが興奮して考えを改めるかもしれないと思ったのです。このコンセプトアートは、私がスタジオで手がけた作品の中でも最高級のものだと思います」と語っています。(ジム・コルキスさんによるインタビューより)

 

プレゼンテーションに向けた準備は数か月に及びましたが、いざミーティングが始まると、スタジオの上層部の人々に企画は破棄されました。マークが腕によりをかけた『シャンティクリア』の企画はお蔵入りとなってしまいました。

 

しかし、ウォルトはマークの手腕を見込んで、ディズニーのテーマパーク制作部門であるWEDに彼を引き入れました。ここからアニメーターではなく、WEDのクリエイターとしてマークは新たな作品を生み出していくことになりました。

 

 

 

今回はマーク・デイヴィスさんがディズニーに入社し、名アニメーターとなるまでをご紹介させていただきました。次回もお楽しみに!

ビッグ・アルのオーディオアニマトロニクス リサイクル説を検証してみた

 

はじめまして、ウィリーです。社会人1年生です。

 

今回は友人であり、ゲームマスターのユーキャンさんに「カンベアドベントに参加しないと爆発する首輪」を装着されてしまったので、この記事を書いています。助けてください。

 

なにはともあれ、カントリーベア・ジャンボリー50周年という記念すべきこの年にカンベアドベントに参加できますことを大変嬉しく思います。やったぜ!

 

 

カンベアにまつわる噂

 

先述の通り、カントリーベア・ジャンボリーは今年で50周年を迎える老舗アトラクションです。これほど歴史が長くなると、ディズニーファンの間に流布する噂も一つや二つ出てきます。その一つがこちらです。

 

 

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つまり、ビッグ・アルは毛皮を剥がれて、ズタ袋のオバケとしてホーンテッドマンションに登場している、と言われているわけです。

 

一部では事実として紹介されているこの説は、私からすると信憑性に欠けると考えます。今回はこの説について、さまざまな側面から検証していきたいと思います。

 

 

噂の出どころは

「ビッグ・アルのオーディオアニマトロニクスがウギーブギーにリサイクルされた」という説について触れた最古の情報源は、(私の観測範囲内では、)WDW Radioというディズニーのファンサイトです。記事の公開日は2007年9月14日。記事内には情報源の付記はありません。該当の記事はこちら。

 

 

このカントリーベアジャンボリーに関する記事を書いたLou Mongello氏はウォルトディズニーワールドに関するブログや本の執筆、ポッドキャストの配信でとても有名な方です。

 

Lou Mongello氏に直接記事の内容を問い合わせれば新たな情報が得られそうですが、面倒なことになると嫌なので、今回は状況証拠のみで説の信憑性を探っていきたいと思います。

 

 

カントリーベア・ジャンボリーのアニマトロニクスについて

 

カントリーベア・ジャンボリーは、1971年10月1日にウォルトディズニーワールドのオープニングアトラクションとしてオープンし、その翌年1972年3月4日にカリフォルニアのディズニーランドにもオープンしました。しかし、ディズニーランドのカントリーベア・ジャンボリーは、くまのプーさんのアトラクションに改装するため2001年9月9日にクローズされています。

 

役目を終えたカントリーベア・ジャンボリーのオーディオアニマトロニクスがその後どうなったのかはわかりません。ウォルト・ディズニーアーカイブスに保管された、解体されて別のパークのカントリーベア・ジャンボリーにスペアパーツとして送られた、などの可能性が考えられます。

 

しかし、ディズニーランドでの”Country Bear Vacation Hoedown”(日本での名称はバケーションジャンボリー)に登場したタコのドロレスについては、明確に行き先が判明しています。

 

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彼女はディズニーカリフォルニアアドベンチャーのアトラクション「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:ミッション・ブレイクアウト」内にプロップスとして展示されています。(マーベル公式サイトより

 

 

さらに、ウォルト・ディズニーアーカイブスの公式インスタグラムでは、“Country Bear Vacation Hoedown”に登場した姿のオスカーが保管されている(されていた?)ことがわかっています。

 

 

このような例を参考にすると、現在もカントリーベア・ジャンボリーのオーディオアニマトロニクスウォルト・ディズニーアーカイブスに保管されている可能性は十分にあると言えそうです。ビッグ・アルがウーギーブギーのオーディオアニマトロニクスとしてリサイクルされたことも考えられなくはないですね。

 

ホーンテッドマンション・ホリデーについて

 

ホーンテッドマンション・ホリデーとは、ディズニーランドのホーンテッドマンションに映画『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』のキャラクターや装飾が施される期間限定イベントです。このイベントは、ディズニーランドのホーンテッドマンションでは2001年10月3日から開始されています。

 

今回検証しているウーギーブギーのオーディオアニマトロニクスは、2001年のイベント開始時は登場しておらず、2003年から追加されたものです。

 

 

カントリーベア・ジャンボリーがクローズしたのは2001年9月9日、ホーンテッドマンション・ホリデーのウーギーブギーが登場したのは2003年10月なので、時期的には矛盾はなさそうです。

 

ビッグアルとウーギーブギーを比較してみる

 

ビッグ・アルとウギーブギーのアニマトロニクスを比較してみれば、本当にリサイクルしているのかどうかを見極められるのかもしれません。

 

まずホーンテッドマンション・ホリデーに登場するウギーブギーをご覧ください。

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ウギーブギーのアニマトロニクス

・頭は上下左右に動く。

・左手は肩関節を外転・内転と外旋・内旋、肘関節を伸展・屈曲できる。

・右手は肩関節を伸展・屈曲のみ行える。(レバーを握っているため)

という特徴があります。

 

続いてディズニーランドのカントリーベア・ジャンボリーに登場したビッグアルをご覧ください。

 

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ビッグアルのアニマトロニクス

・頭は上下左右に動く

・右手は手首は掌屈した状態で撓屈・尺屈できる。肩関節と肘関節は固定されている

・左手は肘関節を屈曲・伸展、手首は撓屈・尺屈できる。肩関節は固定されている

という特徴があります

 

本当にウギーブギーのアニマトロニクスがビッグアルのものと同一なら、動作の特徴も一致するはずですが、比較してみると一致しない点が多く、違うものであると言えそうですね。

 

オーディオアニマトロニクスの制作者のインタビューについて

基本的にディズニーアトラクションの制作はウォルトディズニーイマジニアリングによって行われます。しかし、ホーンテッドマンション・ホリデーはGarner Holt Productionsという外部の企業がオーディオアニマトロニクスや装飾の制作を担当しています。

 

 
 
 
 
 
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ちなみに、Garner Holt Productionsは、カリフォルニアディズニーランドの「ファンタズミック!」のマレフィセントドラゴン、香港ディズニーランドの「ミスティックマナー」、ディズニーカリフォルニアアドベンチャーの「ラジエータースプリングスレーサー」のアニマトロニクスなども手掛けています。公式サイトのポートフォリオをご覧ください。

 

www.garnerholt.com

 

さて、Garner Holt Productionsの創業者であるGarner Holt氏はTomorrow Society Podcastのインタビュー内で、ホーンテッドマンション・ホリデーの制作についてこのように語っています。(英語偏差値2なので間違ってたら指摘してください)

 

tomorrowsociety.com

 

 

"I thought wow, this is my opportunity of a lifetime to build animatronics so I gave them a really good number to do it and almost like a breakeven number. And they jumped at it and then did that all the animatronics in that show a lot of the props, the pumpkin mountain, spider tree, all the animatronics, singing plants and all the zeros and teddy bears and all that stuff in that show."

 

「私はすごい、アニマトロニクスを作るまたと無い機会だと考え、ほとんど利益が出ないほどたくさんのアニマトロニクスを渡しました。彼ら(イマジニアリング)はそれらに飛びつきました。カボチャの山やクモの巣の木といったプロップス、歌う植物やゼロ、テディベアのアニマトロニクスなどショーに登場するもの全てです。」

 

これは初回のホーンテッドマンション・ホリデーを製作した経験に関して語ったものですが、彼はアトラクションに登場するほとんどのものを手掛けたことを強調しており、ウギーブギーのアニマトロニクスもそれに含まれると考える方が自然です。公式サイトのポートフォリオにウギーブギーのアニマトロニクスが掲載されているのもそれを裏付けています。

 

2021年12月現在、Garner Holt Productionsの公式ツイッターのヘッダー画像は、ウギーブギーのアニマトロニクスの画像に設定されており、特に自信のある作品だと自負していることがうかがえます。自分たちで作ったものでなければ、ヘッダー画像にはしませんよね...?(誘導尋問)

 

結論

・明確な情報源がない

・動きの特徴が一致しない

アニマトロニクスの製作者が自分の作品として紹介している

 

ということで私の結論としては、こうです。

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最後までお読みいただきありがとうございました!良いクリスマスを!

 

 

ブログを開設しました!

 

皆さん、こんにちは。はじめましての方は、こんにちは。ウィリーと申します。ディズニーが好きな学生で、2021年からは社会人になります。

 

このたび、New Pleasure Islandというブログを開設いたしました。初めの記事と順番が前後してしまいましたが、今回はこのブログの紹介をしたいと思います。

 

New Pleasure Islandについて

ブログタイトルが"New Pleasure Island"とあるように、ここを新しい遊び場として、主にディズニーについて面白いと思ったことについて書いていきたいと思います。旅行記や映画の感想、アトラクションの考察など、特にジャンルは決めずに、自分なりの視点で深めていきたいです。

 

ディズニーは、映画やパークとその作り手たちの歴史、グッズ、ミュージカルなど、いろいろな切り口から楽しむことができます。その楽しみ方を探すことは宝探しとよく似ていて、そのワクワク感をこのブログでもお伝えしていけたらと思っています。そのような抱負を『新宝島』という手塚治虫さんの漫画作品と重ねて、このブログを名付けました(諸説あります)。

 

このブログを通して、ディズニーを好きになったり、楽しみ方が広がった方が出てきてくれることを目標にしています💪

 

更新について

まずは自分が書いていて楽しめることが大切なので、投稿はゆっくりにはなりそうです。でもコツコツ頑張りますよ!

 

これから社会人となり、スムーズに更新することは難しくなりそうですが、どうか温かい目で見守っていただければと思います。

 

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2021年1月1日 ウィリー

 

 

 

『3びきのくま』とディズニー

 

はじめまして。ウィリーと申します。

今回は友人のユーキャンさんにマインドコントロールされ、カンベアドベントに参加することになりました。助けてください。

 

カントリーベアシアターと「3びきのくま」

突然ですが、カントリーベアシアターの出口にはこのような張り紙があります。

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WANTED!

"GOLDILOCKS"

 

指名手配書のようですが、描かれているのはゴルディロックスという少女のようです。下には罪状も書いてあります。

 

-CRIMES-

・BREAKING & ENTERING

・STEALING PORRIDGE
・DESTROYING CHAIRS & BEDS

・OTHERWISE DISTURBING THE PEACE

 

~罪状~

・不法侵入

おかゆの窃盗

・イスおよびベッドの器物損壊

・その他、平和を脅かす行為

 

この女の子は相当な悪事をしでかしたようですね。

実は、この張り紙は「3びきのくま」という童話に由来するものなのです。

 

3びきのくまのお話

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51xM0VSHbiL._SX394_BO1,204,203,200_.jpg

 「3びきのくま」はこのようなお話です。

 

あるところにゴルディロックスという女の子がいました。

ゴルディロックスが森を歩いていると、小屋を見つけました。誰もいないので入ってみると、テーブルの上にお粥が置いてありました。1つ目のお粥は熱く、2つ目のお粥は冷たく、3つ目のお粥はちょうどいい温度だったので、全部飲んでしまいました。

ゴルディロックスはイスに座ろうと思いました。1つ目のイスは大きすぎました。2つ目のイスはもっと大きすぎました。3つ目のイスはちょうどいい大きさだったので座りましたが、壊れてしまいました。

眠くなったので寝室に行くと、3つのベッドがありました。1つ目のベッドは固すぎました。2つ目のベッドは柔らかすぎました。3つ目のベッドはちょうどよかったので、そこで寝てしまいました。

そこにクマたちが戻って来て、お粥は食べられ、椅子は壊されていて、ベッドには女の子が寝ているのを発見しました。目を覚ました女の子はクマに驚き、慌てて家から逃げていきました。

 

というお話です。ただの未解決犯罪ですね。熊たちが指名手配書を書くのも無理ないです。

 

余談ですが、アニメーションの重鎮である高畑勲さんや宮崎駿さんは若いころ、「3びきのくま」のアニメーション化を検討していました。しかし、「絵本の面白さを超えられない」という理由で断念したという逸話が残っています。その後に作られた『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』では、冒頭のサーカス団が忍び込むシーンに「3びきのくま」の影響が色濃く表れています。

 

さて、実はこの「3びきのくま」は昔からディズニー作品にも登場するお話なのです。

 

 

アリスコメディと「3びきのくま」

アリスコメディとは、ウォルト・ディズニーが監督した無声アニメーションシリーズです。内容は、アリスという実写の少女がカートゥーンランド(アニメーションの国)で遊ぶというものでした。

 

 

アリスコメディの一編、「3びきのくま」の翻案として制作されたのが”Alice and the Three Bears”です。この作品にはゴルディロックスは登場せず、その役割をアリスが演じています。登場する熊たちは密造酒を作るといった典型的なヒルビリーのように描かれていて、クライマックスでアリスは丸鋸で殺されそうになります。なかなか議論を呼びそうな内容ですね。

 

カントリーベアシアターのメンバーも、ほとんどがヒルビリーのように描かれているので、もしかするとこの熊たちとは関係があるのかもしれません。カンベアの出口に指名手配書を張ったのも彼らかと思うと、想像が広がりますね(だったらアリスと書くだろうというツッコミは無視)

 

 

シリーシンフォニーと「3びきのくま」

音楽をテーマにしたアニメーションシリーズ、シリーシンフォニーにも「3びきのくま」が登場します。一本目は『おとぎ王国(原題:Old King Cole)』です。

 

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この作品では、絵本からマザーグースイソップ童話などの様々なキャラクターが飛び出し、コール大王のもとでパーティを楽しみます。3匹のくまとゴルディロックスが一緒にダンスをしているところを見ると、あの事件のあとにきちんと仲直りができたみたいですね。

 

2本目は『赤ずきんちゃん』です。この作品は皆さんもご存じの赤ずきんちゃんを翻案したものですが、セリフの中でゴルディロックスが出てきます。

 

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シリーシンフォニーの『赤ずきんちゃん』は『3びきのこぶた』の続編としてつくられており、ビッグバッドウルフもこの作品に登場します。彼はこの作品でも変装をしますが、そのときの偽名がゴルディロックスなのです。シリーシンフォニーの世界ではゴルディロックスは名前が知られた存在なのかもしれんませんね。

 

さて、シリーシンフォニーでは『3びきのくま』がつくられなかったのかといえば、そうでもないのです。

 

かつてウォルトの下でアリスコメディーの制作にも関わっていたアニメーターのヒュー・ハーマンとルドルフ・アイジングが、ディズニーで『3びきのくま』の制作を下請けしていたことがあります。

 

ヒュー・ハーマンとルドルフ・アイジングといえば、ユニバーサルのチャールズ・ミンツがウォルトから「しあわせうさぎのオズワルド」を取り上げたときに、ミンツ側についたアニメーターです。この二人は引き抜きを受けたあと、ウォルトに激しい対抗意識を燃やし、ワーナーではルーニートゥーンズやメリーメロディーズといった作品を生み出しました。しかし、ワーナーとも揉めて契約を解消、ハーマン=アイジングとしてMGMに作品を提供したり、フリーランスでアニメーション制作を行っていました。

 

このとき、ディズニーは『白雪姫』を制作していましたが、作業の人員が足りず、ハーマンとアイジングからインク&ペイント部門のスタッフを借りることになりました。この見返りとして、ディズニーはシリーシンフォニー作品の制作を彼らに委託します。シリーシンフォニー作品でも評価の高い『人魚の踊り(原題:Merbabies)』もヒュー・ハーマンとルドルフ・アイジングたちによって作られたものなのです。

 

 

続けて『3びきのくま』も制作していましたが、ディズニーはこれをキャンセルしてしまいました。せっかく作っていた作品をボツにするわけにいかず、ヒュー・ハーマンとルドルフ・アイジングはこの作品をメトロゴールドウィンメイヤー(MGM)に持ち込んで"Goldilocks and Three Bears"として発表してしまいました。

 

 

ディズニー作品のはずがMGM作品になってしまった"Goldilocks and Three Bears"ですが、よく見てみると水中に落ちるシーンもあり、”Alice and the Three Bears”の要素が残されているようです。彼らがかつて携わったアリスコメディのリメイクという側面があったのかもしれません。そう考えてみると、作品を却下したディズニーへの怒りが伝わってくるようですね...。

 

 

最終的にカンベアとは関係なくなってしまいましたが、マインドコントロールが解けてきたのでここまでとします。

 

お読みいただきありがとうございました。またいつか来てください♪

 

【参考】

有馬哲夫、「ディズニーとライバルたち」(東京:フィルムアート社 2004)

ディディエ・ゲズ、ディズニー黄金期の幻のアート作品集: THEY DREW AS THEY PLEASED Vol.1(東京:ウォルトディズニージャパン 2016)

デイブ・スミス、Disney AtoZ : The Official Encyclopedia オフィシャル百科事典(東京 : ぴあ)

Micheal Barrier,Hollywood Cartoons American Animation in Its Golden Age 

Alice and the Three Bears is released - D23

映画『パンダコパンダ』公式サイト - プロダクションノート (ghibli-museum.jp)